2010年2月10日

紫色のクオリアの感想


紫色のクオリアを読み終えた。クオリアというテーマからずれることのない話だった。
本作でのクオリアを簡単に説明すると、自分の見え方と、他人の見え方は共有できない、という一言になるだろう。 人と人とは全く異なる見え方をしている。しかし、そこを認めて、はじめて友達になれる、というような話なのだ。
本作のメインは2話だろう。主人公が平行世界の自分と会話をする、という設定、そしてひとつの目的に向かい、邁進する。ここからSF的用語(物理学の用語か)が頻出するが、しかし、それらは書かれているだけで、超常現象の説明にしかなっておらず、血と肉として物語の骨格を形勢するには至らない。
2話を読んでいて、思い浮かんだのは、玩具修理者の酔歩する男だった。酔歩する男は波動関数の収束を用いたホラーなのだが、こちらは本作2話の雑多な繰り返しより、うまく繰り返す人生を描いている。酔歩する男の発表会のエピソード・受験のエピソードが、丁寧に書かれているので、そう思うのだろう。酔歩する男の波動関数の収束は、しっかりと作品の骨となっている。本作の2話での波動の収束は、1行で1人生を語るスピードであり、言葉遊びの域になっている。もっと数を減らして、1エピソードを丁寧に書ききって欲しかった。そうすれば、2話はもっと良くなっていただろう。
また、こうした輪廻の話として、ドグラ・マグラも思い起こされる。こちらは語るまでもなく有名だが、似たような輪廻の話があったように思う。ドグラ・マグラの徹底した描写の細かさは、本作と比すと際立つものと分かる。

2話目のアイディアを秀逸に扱った他の作品を読んでいて、それらが思い出されたために、本作の印象は、何かとうすっぺらくなってしまった。
宇宙、輪廻、人生、という壮大なことを書きたがるのは、科学者が、この世の理を解明したいと思うのと同じ、作家も、この世の理を自分なりに構築したいのだろう。世界の構造、という壮大なテーマを扱った話は数多にある。本作も、そうした一作の一つだったが、その他大勢に埋もれないのは、クオリアというテーマを忘れず、一貫したからだ。
ただ、それを語るのに、2話の波動関数や観測の話は過剰装飾で、話の骨格が幾分見えにくくなっているように思う。テーマは良く、読後感も良かった。自分の見えているものは、自分にしか見えないもの、ということも実感できた。なら、もっとそこにこだわった話を読みたかった。
ちょっと足りない、そんな印象の小説だった。

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